阿彌(劇団)第十六回公演 ア・ミ・ナ・ダ・ブ 

〜『死の宣告』モーリス・ブランショより〜

 

http://www.tokyobabylon.org/gekidan_ami.html

 

 

上演に寄せて

阿彌(劇団):

1994年結成。能楽の身体性と同時にその厳しい即興生をも取り入れ、現代劇の解体とその再構築による前衛的舞台を実現している。

その求心的舞台構築の為、観客の無意識層に揺らぎを与え、そこから立ち上がる想像力において顕現するダイナミックな原初的舞台を目指している。

その前衛と伝統のせめぎ合いの舞台は、日本において最も能楽に近い舞台と定評がある。

 

舞台というものが、台本作者や演出家や演者の自己表現であったり、自己実現の手段であることをやめない限り、演劇は永久に死んだままである。オーディエンス(観客)と舞台との関係に、その本質的な意味を恢復しなければならない。

 

演劇はかつて神事と結ばれていた。あるいは神々の言葉を聴くことができた。もしくは神々の不在に触れていた。そしてこれらは言語を絶することがらであった。舞台作品はけっして人間に所属してはいない。舞台はおのれが呼ぶものの現前において消滅する。 

今日、舞台にたずさわる者は、神々の不在の不在という事態のなかで、宗教的なものではなく、聖なるものではなく、しかし言語を絶するものの現前に立ち会うために、作品とともに彼方に、無名の位置に退かなければならない。

 

私達はこの場所でこそ深淵に触れる。この真理の欠如している場所で、存在に遭遇するという危険に耐えなければならない。ここにしか舞台の復活はありえない。

 

MANIFESTO 「消滅する舞台」

『一度は死んだその女性が、再び甦ったという事実をたとえ奇跡と呼んだとしても、私はそれがけっして異常な現象ではなく、人間にとって思いもよらぬ事ではない事を知っている。

とはいえ今、私はあの日々を深い驚きをもって思い起こしている。それは一人の男の一生を、飲み尽す程の事件であったと云えるだろう・・・。』

この舞台でモチーフとなった、ブランショの小説世界「死の宣告」は、その読後に、やりきれない絶望感とともに、なぜか人間の有限性を超えた理解不能な救済感に襲われたのである。その不思議に動かされて、この困難なブランショの小説を舞台化したト云えるでしょう。

もし私がお能の舞台を実体験していなかったならば、この舞台化は思いもよらなかったであろうし、また、私の日常のふとした隙間に<死に襲われる>という恐怖を約50年も経験していた為に、避けては通れない舞台となりました。この舞台を、私の生涯の永遠なる源泉となった磁場を与えて下さった師、故・竹内敏晴と根源的な舞台表現の師であった故・観世栄夫の御二人の霊に、捧げさせて戴きます。と同時に、生死を超えた不思議に逢着できたことを感謝申し上げたいと思います。

なお、ブランショの別の小説に「アミナダブ」というのがあって、このタイトルの方が表現が直裁でないのと、何だかよくわからないということと、南無阿弥陀や阿彌に通ずる音でもあり、また聖なる書物が入っている櫃を運んだ人の名前でもあるということに興味が湧いて、それを分解するような形で採用させて貰いました。もちろん「死の宣告」をそのまま舞台化したのではなく、ブランショの西洋的世界観から私自身の日本的世界観への入れ子的構造に仕上げてみました。

岡村洋次郎:

阿彌主宰(東京バビロン代表)

 

竹内演劇研究所(故・竹内敏晴主宰)において「命のレッスン」を通して、舞台創造の根源に触れる(約5年間)。その後、故・観世栄夫(観世流能楽師)に約8年間師事。1994年「阿彌」(劇団)結成。能楽のメソッドを解体・再生して、現代演劇の演技メソッドを確立探求中。日本演劇史の外に位置する希有な存在である。 

 

 

『一度は死んだその女性が、再び甦ったという事実をたとえ奇跡と呼んだとしても、私はそれがけっして異常な現象ではなく、人間にとって思いもよらぬ事ではない事を知っている。

とはいえ今、私はあの日々を深い驚きをもって思い起こしている。それは一人の男の一生を、飲み尽す程の事件であったと云えるだろう・・・。』

この舞台でモチーフとなった、ブランショの小説世界「死の宣告」は、その読後に、やりきれない絶望感とともに、なぜか人間の有限性を超えた不可知の救済感に襲われたのである。その不思議に動かされて、この困難なブランショの小説を舞台化したと云えるでしょう。今回は女流能楽師・鵜沢久氏を迎えて挑戦させて戴きます。この舞台でモチーフとなった、ブランショの小説世界「死の宣告」は、その読後に、やりきれない絶望感とともに、なぜか人間の有限性を超えた理解不能な救済感に襲われたのである。その不思議に動かされて、この困難なブランショの小説を舞台化したト云えるでしょう。

  岡村洋次郎   (演出家・劇作家・俳優)

 

岡村洋次郎:

演出家・劇作家・俳優(東京バビロン代表)

竹内演劇研究所(故・竹内敏晴主宰)において「命のレッスン」を通して、舞台創造の根源に触れる(約5年間)。その後、故・観世栄夫(観世流能楽師)に約8年間師事。1994年「阿彌」(劇団)結成。能楽のメソッドを解体・再生して、現代演劇の演技メソッドを確立探求中。日本演劇史の外に位置する希有な存在である。 

 

鵜澤久:

観世流シテ方能楽師・重要無形文化財総合指定能楽保持者

昭和24年生まれ。観世流職分故鵜澤雅(父)及び故観世寿夫、故観世銕之丞に師事。現在銕仙会を中心に舞台活動中、新しい試みの舞台活動への参加、海外公演も行っている。平成2年より毎年川崎市文化財団主催の「夏休み能楽鑑賞教室」を指導、好評を得ている。「鵜澤久の会」を主宰。東京芸術大学邦楽科、同大学院修了。安宅賞受賞。数少ない女性の能楽師として精力的に活動している。平成17年川崎市文化賞を受賞・市民文化大使に任命される。

 

www.uzawahisa.jp/

出演者プロフィール

嶋津和子:

阿彌(劇団)代表・俳優

阿彌(劇団)出演

2010年7月 「青いクレンザーの函」

2011年1月 「荒野より呼ぶ声ありて」

2012年4月 「昭和神曲煉獄篇 少年少女心中」

2012年11月「静かなる傾斜」

2013年11月 日英交流400年記念事業

        「ネアンデルタールの森に雨は降っている」

大橋あをい:

阿彌(劇団)準劇団員

福岡県大牟田市生まれ。

小劇場にて活動20年余。

昨夏初めて劇団阿彌のワークに触れる。

修行中。

 
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